10月は、映画が公開された『図書館戦争』シリーズの再読と、よしながふみさんの『きのう何食べた?』シリーズの未読だった9、10巻目を読みました。

シロさん家のメニュー構成は、野菜摂取にも気が配られているので、色々参考になります。

図書館戦争』、映画は未見ですが、先日放送されたスペシャルドラマは観まして、毬絵役を演っていた土屋太鳳さんが素敵でした。

中途失聴になって声を出すことが怖くなり、あまり話さなくなった女子高生の役だったのですが、彼女の心の動きを表情や仕草で雄弁に、また魅力的に演じられていて、グッと引きこまれました。

図書館戦争におけるジェンダーとか

男らしく、とか、女らしくというコトバに興味を引かれることが多いので、そんな観点から『図書館戦争』を読んでいて感じたことなど、書いてみたいと思います。

著者の有川浩さんは、巻末に収められている児玉清さんとの対談で、以下のように語ってらっしゃいました。

男の子がいざという時、かっこよくいてよって思うのと同時に、私は女の子に対しても、「女の子はいざという時、かわいくあってよ!」って、両方に思ってるんです。

なので、なんというか、

“男の子が引っ張り、女の子はそれを盛り立てる”というような、

個人的にはちょっと敬遠したくなってしまうような枠組みを感じる要素が、なくは無いのです。

なのですが、最後まで投げ出さずに読めるのは何故なんだろう?と、ちょっと考えていました。

まだはっきり掴めてはいないのですが、これかな?と思っていることはあるので、それを書いてみようと思います。

押しつけられてはいない

1つは、そういった男らしさ・女らしさといった枠組みが、登場人物に「押し付けられていない」、と読んでいて感じられるからではないか?、というものです。

今回、本編だけでなく、巻末の児玉さんとの対談も合わせて読み直したのですが、有川さんが、以下のようにおっしゃっている部分もありました。

作法としての男性らしさ、女性らしさというよりも、心根としての、男性らしさ、女性らしさ。そこを大事にしていけたらいいな、と。

「作法として」の男性らしさ、女性らしさという表現、言い得て妙です。

「作法」として求められるが故に、それを窮屈に感じられることはあるかなと思います。

かといって、「作法」とされるお約束事が、自分の中から自然に湧きでてこないのか?と聞かれれば、そういう訳でもなく。

時には揺らぐもの

また、女性・男性らしさが「押し付けられたもの」と感じられないのに加えて、

一人の人間の中での、女性らしさと男性らしさの「揺らぎ」のようなものが許容されている、と感じられることも関係しているかもしれません。

「揺らぎ」を認めてもらえず、思っていた(思い込まれていた?)姿と違うことで、裏切られた…と思われてしまうのも、双方にとって幸せなことではないですし。

自分には関係ないと思っているうちに自由が制限されている、言論が制限されている。

その設定に現実を重ねあわせてゾクッとするのと同時に、描かれている「女らしさ、男らしさ」について、こんなようなことを考えていました。

読書メーターでのまとめ

2015年10月の読書メーター

読んだ本の数:7冊

読んだページ数:2225ページ

ナイス数:5ナイス

きのう何食べた?(10) (モーニング KC)きのう何食べた?(10) (モーニング KC)

読了日:10月28日 著者:よしながふみ
きのう何食べた?(9) (モーニング KC)きのう何食べた?(9) (モーニング KC)

読了日:10月27日 著者:よしながふみ
図書館危機 図書館戦争シリーズ3 (角川文庫)図書館危機 図書館戦争シリーズ3 (角川文庫)

読了日:10月13日 著者:有川浩
図書館内乱 図書館戦争シリーズ (2) (角川文庫)図書館内乱 図書館戦争シリーズ (2) (角川文庫)

読了日:10月13日 著者:有川浩
図書館戦争 図書館戦争シリーズ (1) (角川文庫)図書館戦争 図書館戦争シリーズ (1) (角川文庫)

読了日:10月13日 著者:有川浩
図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)

読了日:10月13日 著者:有川浩
別冊図書館戦争 1―図書館戦争シリーズ(5) (角川文庫 あ)別冊図書館戦争 1―図書館戦争シリーズ(5) (角川文庫 あ)

読了日:10月13日 著者:有川浩
読書メーター