最近のニュースを見ていて、子育ての最終目標の1つはこれだなと思うこと。
それは、人「で」遊ぶ人間にはなるなということ。
この国のジェンダー観がカビが生えるほど遅れていて、女性からすれば全く他人事ではないのは言うまでもないですが、最近耳目を集めている芸能界・メディア業界のアレコレも、いわゆる「女遊び」の範疇で女「と」遊んでいるつもりだったのだろうけれど、当事者側の性からみたら女「で」遊んでいたという表現がしっくりきます。
相手も主義主張や思考をもった同じ人間だと思っていない。(吉田秋生の『BANANA FISH』にも、そういった表現があった気がする)
また性加害に限らず、職場の同僚に暴行・暴言を繰り返した結果、最終的に殺害したに等しいとされ逮捕されたニュースなどもありましたが、そういったものも加害者側の人間にとっては暇つぶしの1つ程度の認識に近かったのではないかと想像したりもします。
その他、「ウサギが可愛いと思う反面、いじめたらどんなリアクションをするのか気になった」と何十羽ものウサギを蹴り殺し逮捕された20代男性のニュースも見ましたが、人に加害する人間の思考状態もこれに近いのではないかと思ったり。
他人って、当たり前ながら自分と違う生き物なので、なにか刺激を与えたとして、100%自分と同じ反応が返ってくることはまずない。そもそも外見から異なるし、思考回路も違う。
なので、人と関われば、多かれ少なかれ、自分が予期し得なかった反応が絶対に返ってくるし、予想通りの反応が返ってくるかという予測誤差すら楽しむこともできる。
それが良い方向へ進めば「三人寄れば文殊の知恵」になるけれど、ただただ予期しない反応が返ってくる部分だけへの中毒性に侵されていくと…行き着く先は人「で」遊ぶ人間になるのではないかなと。それも相手の反応を楽しむだけでなく、自分が予期しなかった反応を返してくる相手を屈服させたいという加害欲や征服欲を引き連れて。
とにもかくにも芸能界でのあれこれには、一部には負の連鎖などもあったかもしれないですが、あれだけ地位や名誉やお金を持っていても、人で遊ぶことしか楽しみ方を知らなかったのか!? と不憫になったりもします。
そんなわけで、長い人生において子どもたちが人で遊ぶ人間にしないためにも、学校生活において加害者側にならないためにも、人と関わること以外の人生の楽しみ方や暇つぶしの仕方なんてものを知っておくのは、大事なことなんじゃないかなと。
自分のなかにも嗜虐性があるからこそ、なおさらそう思います。