オットよ、帰るコールを軽視するべからず
花粉が…花粉が…つらいです。でも春らしい陽ざしになってきて、花や虫が元気になってきて、季節の移り変わりを感じます。
さてさて、今日はTwitterをながめていて目に入った話題から、一家庭人として思ったことをつらつらと書いてみます。
その話題がこちら:
帰宅が遅れたことにより(妻へのアナウンス怠り)妻に夕飯をぶちまけられた男性と、その男性への反応の数々 – Togetter
わりとね、炎上してお見かけすることが多いアカウントの方なので、まあ、ふ〜ん、そんなんだ、くらいのスタンスでご覧いただければ良いのですが、内容はタイトルにある通り、「帰宅するといっていた時間から大幅に遅れて帰ったら、夕飯がシンクにぶちまけられてた」というものです。
それに対し、妻の気持ちがわかるという反応や、夫へのDVじゃないかという反応がありましたが、私は、わかるわ〜と思う派でした。
オットに理解してほしい、帰るコールの重要性
育った環境や性別によっても違うかもとは思うのですが、わが家では、オットは帰るコールを忘れがちなタイプで、私は結構きっちりするタイプです。1
たいてい、職場やお出かけ先をでるときには、「これから戻る、◯時頃つく予定」と連絡いれます。
一方のオットは、突然帰ってきたり、「あと10分でつく」とか急に連絡のくることが多いです。それも、私の方から「何時ころ帰ってくるの?」とあらかじめ連絡を入れておいたにも関わらずやられることがあるので、結構イラッときます。
段取りをつける目安にしているから
なんでイラッとくるのか? 私個人としては、「段取りを立てられない」「段取りをくずされる」のがストレスだからだと思っています。
子どもがいないときは別段気にならなかったのですが、子どもが産まれてからは、如実に感じるようになりました。
たとえば、ここ最近だと、子ども達をお風呂に入れる時間ですね。
1つの事象の前には、そこへ至るまでの過程がある
「子どもとお風呂に入る」。このフレーズからは、「子どもと風呂場へ行き、体を洗い、湯に浸かる」、ただそれだけだ
と感じるかもしれませんが、そのためには、ちまちまとした準備が必要なわけで。- 子どもの夕飯をすませておく(いまは、夕食後に風呂派)
- 浴室乾燥機で干していた洗濯物を片付ける
- 子どもや自分のタオル類・着替えを出しておく
- 食器類を片づける
- 時間によっては、子どもの歯みがきを終えておく
- 追い焚きしなくて済むよう、帰宅時間に合わせてお湯をはる
- 子どもの気持ちを、徐々にお風呂に向けていく
などなど。
とくに最後の1つなどは、自我がでてくるお年頃になってくると、それこそ超重要事項で。
なので、帰宅予定時間を早めに伝達しておいてもらえれば、それに備えて段取りをつけて動いていけるわけですが、「あ、忘れてた」とか「あと10分」とか、そろそろ帰ってくるのかなというくらいの時間に「ごめん、やっぱ無理」とかをやられると、もうすべてが台無し。
私が段取りをつけて動くのが好き、それが崩れるのに弱い、というタイプであることも関係するかもしれませんが、ブッチーーーンと来ます。(張りつめていた糸が切れる音と堪忍袋の緒が切れる音)
そりゃ仕事上の急なトラブルとかなら仕方ないですよ。
とはいえ、大事な仕事上のパートナーにドタキャンしたら、平身低頭謝るよね?とか、そもそもなにかアクシデントがあった時点で一報しようと考えるよね?とか。つまりは、私という存在を軽く見てるよね? 甘えてるよね?とか。
『舟を編む』で宮崎あおいさん演じた香具矢ばりに、オットに詰めよりたくなります。
その場では面と向かって伝えられないので、返信する文面では怒りを伝えているつもりでも、6割くらい真剣度が割り引かれるのか? 気をつけてはいるそうですが、いまだ連絡不行き届きは0になりません。
▼ 第1子のときも、段取りが地味に疲れるという話を書いてました
想像の翼をはためかせて
私は「入浴」について書きましたが、もとネタの「食事の支度」も構造は一緒ですよね。帰宅するという時間に合わせて、いろいろと段どる。それにも関わらず、連絡すらせずに、それを踏みにじられたら。それが何回も繰り返されたら。
そりゃ、シンクに夕飯をぶちまけたくもなるさ。
と、私は自分の「入浴」に関する体験から想像できましたが、経験したことのないことを想像するのは難しいということは確かにあって。
でも、想像できないことを棚にあげて、妻の対応を「感情的過ぎる」とする反応には、やっぱり、ちょっとお待ちなさい、と言いたくなっちゃいますね。
いや、目に見える結果としては、「シンクに夕飯をぶちまけた」という、激しい感情の発露ではあるのですが、その前に、なるべくその感情を押し込めて伝えようとした段階があったのに、それは、無いことにされてしまうんだな、と。
何回も「私の足をふんづけている、貴方のその足をどけてください」とお願いしているのに、それが聞き入れられず、ついに踏まれている方が「その足どけろって言ってるんだよ!」と怒ると、「そんな言い方ではダメだよ」と説教されるトーンポリシングとなんか似た構造だなと思いました。
相手の立場を理解または想像できなかったオノレの「鈍感さ」を、そんなことでそこまで怒る必要ないだろうと部外者のように事態をとらえる「冷静さ」だと思っているのは大間違いだと思うぞ、というこちらの記事も面白かったです。
私が作った夕飯をぶちまけたくなった時の話 – 宇野ゆうかの備忘録
オットはまだ2人同時のワンオペを経験したことがないので、4月以降、想像だけでは腑に落ちていないのであろう「帰るコール」のありがたさを、ひしひしと実感して欲しいと思います。
そして、もし、「帰るコール」なんか不要、まったく必要性を感じない、というのであれば、そのように感じるための心構えや段取りの仕方、気力・体力の分配方法などを共有してほしいですね!
以上、chiroでした。