『虎に翼』がとうとう終わってしまいました。

寂しい。憲法第14条を筆頭に、日本国憲法を中心に据えてかつての日本、いまの日本はどうなんだい?ちゃんと個人として尊重される社会になっているかい?と投げかけてくれるドラマでした。

米津玄師さんの主題歌も、ものすごく解像度が高かったなと。最後の一節にある「生まれた日から私はわたしでいたんだ 知らなかっただろ」というところがとても好きです。あと「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」も。

で、そんなドラマが放送されている中で、SNSで「私は自分が仕事や育児が続けられるよう最大限努力してきた。あなた達も羨んでいないで努力しろ」といった趣旨のワーママの発言がふわふわ〜とTLに流れてきたことがあり。

それを見て、少しずつでも女性が働きやすい環境になってきているのだなと思うと同時に、まだまだ青いなと思ったりもしました。

『虎に翼』の序盤のあたりで、主人公の寅子が日本初の女性弁護士になったときの祝賀会でのスピーチ場面があるのですが、日本で一番優秀な女性の方々!とおだてられた際に、私はそうは思えません、という旨を発言するのですよね。

友人達の姿も思い浮かべながら、志半ばで家族や社会によるしがらみから断念しなければいけなかった人、学ぶという選択肢すらなかった人、そのような女性が多くいるなかで、自分が一番優秀だなどとは決して思えない、と。

似てるな〜と。

私の数年上の氷河期世代は男女ともに採用数が極限まで絞られたうえで、女性は門前払いが当たり前。私の世代でも、金融系なんかは男性のあとから女性の募集をかけることが当たり前に行われていました。

そして「日本死ね」の保育園不足、待機児童問題。私自身もブログではぼかして書いてましたが、認可外保育園の空きが急遽生じなければキャリア終了の瀬戸際でした。

そういった社会情勢のなかで個人の努力でなんとかなる範囲はだいぶ制限されていて、その中でなんとかもがくしかない。進むしかない。そういう時代でした。

それに比べれば、いまは呼吸しやすくなってきていると思います。少なくとも、女性が仕事も家庭も両方充実させたい!と主張すること自体が忌避される雰囲気ではなくなってきています。経団連の選択的夫婦別姓推ししかり。また少子化から保育園の待機児童問題もあまり耳にしなくなってきました。(むしろいまは学童不足)

この10年、15年でそれなりに状況は変わってきています。なので、当時の社会情勢を知らない世代が上の世代に対してなんで?なんで?となるのも理解はできます。

なんで大学に行かなかったの?(女性は入学できなかったからだよ) なんで政治家にならなかったの?(女性には参政権がなかったからだよ) なんで弁護士にならなかったの?(女性はなれなかったからだよ) なんで検事や裁判官にならなかったの?(女性はなれなかったからだよ) なんで正社員として働かなかったの?(そもそも採用募集がなかったからだよ) なんで仕事を辞めたの?(結婚したら退職することになってたからだよ、子どもが保育園に入れなかったからだよ) なんで会社の福利厚生を聞かなかったの?(買い手市場だったからだよ)
とかとか。

ただ、一歩引いてみたら、努力したくてもできなかった人達の存在が目に入ってくるのではないかなと。

そして上野千鶴子さんの東京大学での祝辞も、同じようなことを言っているのだと解釈しています。
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

あなた達ひとりひとりの努力は否定していない。よく頑張っている。その上で、思う存分努力できる環境というのは当たり前のものではないということ、努力したくともできない状況に置かれている人達もすぐ側にいるということ。それを決して忘れないで、見えないふりをしないで、と。(そして個々の事情は社会情勢に限られたものでもなく)

自分たちの世代そして次の世代がより個人として生きやすい社会になることを願って、上げられる声を上げながら「出涸らし」となっていきたいと思います。