【英ドラマ】『ダウントン・アビー』 全シリーズ通しての感想
久しぶりにAmazonプライムビデオをチェックしていたら、『ダウントン・アビー』のシーズン6が公開されていました! せっせと視聴し、ようやく見終わったのですが、ほんとにもう、最初から最後まで面白かったですし、色々練られていたなと感じました。
『ダウントン・アビー』は、イギリスで制作されたドラマで、2010年から放送されシーズン6で完結しています。
舞台は1910年から1925年までのイギリスにある架空の村、ダウントン村。
そこの領主であるグランサム伯爵のお屋敷を舞台に、伯爵家の人々や屋敷で働く使用人たちのラブロマンスや権力闘争、小競り合い、恋のさやあてなど、幾重にもからみあった人間模様が描かれている作品です。
「ポリティカル・コレクトネス」への意識
こだわり抜かれた美術セットや衣装に、放送当初は無名だった新人俳優からベテランのアカデミー賞俳優まで、制作スタッフや俳優陣の演技が素晴らしかったのはもちろんなんですが、その土台ともなった脚本が素晴らしい! と見ていて思いました。
▼ ロケ地の1つ、イギリス南部のバークシャー州にあるハイクレア城
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当時の社会背景は
- 女性に相続権なし
- 女性に参政権なし
- 同性愛は犯罪
- 厳然たる階級社会
- 人種による差別
- 職業による差別
など、現代以上に「差別」が幅をきかせている社会でしたが、そのような背景を描きつつも、決してその差別を肯定していない。誰かが差別を肯定するような発言をした後には必ず、他の人の台詞や演出によってそれを否定するようなフォローがなされている。
いわゆる**「ポリティカル・コレクトネス」をしっかり意識して書かれている**ところが、このドラマが世界的に受け入れられた理由でもあるのかなと思います。
見る前はイギリス版渡鬼みたいなものなのかな?と思ってましたが、大違い。大して見たこともない渡鬼をおとすのもなんですが、少なくとも「イクメンありえん」的発言されてしまうような脚本家が手がける作品とは、感覚が相当異なるかと…。
たとえば、ちょっとしたネダバレになってしまいますが、
性的暴行を受けた登場人物が、「自分は汚れてしまった」「自分に落ち度があった」と責めるような発言をしたりときは、他の登場人物によって「そんなことはない」と被害者が自分を責めるような発言は完全に否定されていたり、それによってセカンドレイプも封じられていたり。
不妊や流産を「自分のせいだ」と責めるパートナーに対し、「君だけでなく、2人の問題だ」ともう一方のパートナーにも当事者意識を分かち合わせていたり。
労力をかえりみず出された料理に口ばかり出すパートナーは、お返しにギャフンと言わされていたり。
また恋愛模様もたくさん描かれていますが、描くにしても、若人だけのものにしているのではなく、中堅世代やシルバー世代にも焦点をあてていたり、
教育の力や戦争による後遺症や社会の変化も描かれていたり、
カトリックとプロテスタントなど、宗教による立場・見解の違いにもふれていたり。
おぉ、なんとういうご都合主義! な展開も多々ありはするのですが(笑)、それはそれとして、ほんとに四方八方に目配りされたストーリーになっており、物語の世界を純粋楽しめました。
個人的には、マギー・スミス演じるバイオレット先代伯爵夫人とベネロープ・ウィルトン演じるクローリー夫人のやり取りが、結構ツボで。
最初の頃は、顔を合わせては、角を突き合わせて、辛辣な皮肉の応酬をしてるんですが、そのうちなんだかんだ仲良しになっていて、なんだかんだ2人とも世話好きで、なんだかんだ思考も柔軟で。チャーミングな素敵コンビでした。
最近はシーズン1から見返したり、YouTubeでインタビュー映像やメイキング映像をあさっています。
Downton Abbey USチャンネルが色々と豊富なコンテンツを提供している様なので、英語のリスニング練習も兼ねて。
しかし、日本版の告知だと、まったく違った作品になっているようでびっくり…えっ、サスペンスとは!?みたいな(笑)
映画化の話もずっとあるようなので、実現されるとしたら、どの時間軸を描くんだろうかと、楽しみです。