初対面の相手とは話さない方がいいとされる、宗教や政治の話。
でも、気のおけない間柄同士では、もっと軽く、政治に関することを話していいんではないか? むしろ、話した方がいいんではないか?と思うようになった、今日この頃。

今年で言えば、保育園落ちた日本死ね!!!を発端に、改めて(!?)浮き彫りになってきた、政治家の当事者感覚の無さ、問題意識のなさ、偏見には、危機感を感じています。

また現与党に関して、一歩踏み込んで言えば、景気対策に耳目を集めた上での、安保関連法案の強引な決議、ひっそりと提示されている改憲案、報道機関への関与、三権分立や国民主権ってご存じですか?な発言や振舞いの数々には、正直、空恐ろしさすら感じています。
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普通選挙法や国民主権

私も、成人以後のすべての機会において、自分の持つ選挙権を行使してきた訳ではありません。
たかが1票、なんの変わりもないでしょ、とやさぐれたこともありますし、誰に投票すれば…と思ったことも少なくありません。

ですが、学校の授業で習ったことや読んできた本の内容などを思い出すにつけ、この権利を無駄にしてはいけないと、強く思うようになりました。

女性参政権:戦前にはなかったもの

日本で「普通選挙法」が施行されたのは1925年のことですが、「普通」と付いているのに、参政権が認められたのは成人後の「男子」のみ。女性は、戦後になるまで政治に関わることが出来ませんでした。

最近読んだ本のなかでも、松谷みよ子著『小説・捨てていく話』では、代議士に立候補した父親の選挙活動の手伝いをしていた母親が投票のときには帰宅していたという描写が。
梯久美子著『昭和二十年夏、女たちの戦争 (角川文庫)』では、戦後、投票に行くことを恥ずかしい(!?)としぶる母親を、「せっかく手にした権利なのだからお願い行って」と娘が説得し、投票所まで連れて行くといったエピソードが書かれていました。

納税額によって投票する権利の有無が決められたり、女性ということで投票出来なかったり。

無関心でいることで、そのような時代への揺り戻しがこないとも限らない。
私が生まれたときから身近にあった権利は、決して当たり前のものではない。

そんな意識を、忘れないように頭の底に置いておきたいと思っています。

政治をもっと気軽で身近なものに

政治に関する話題から遠ざけられるような雰囲気や、話題にすることで色眼鏡で見られるような雰囲気など、今も根強くあるような気がします。

ですがそういった雰囲気というのは、「政権をもつ側にとって、都合が良いものなのでは?」とも思います。

誰かに任せておけば大丈夫。
良いように取り計らってくれるだろうから、口をはさむなんてとんでもない。

田中芳樹の『銀河英雄伝説』(通称、銀英伝)にも、ヤン・ウェンリーの「民衆が望んでいるのは、有能な独裁者だ」的な台詞があったように思います。

ですが、間接民主制の日本では、議員はあくまで私たちの意見を代表して表明する役割を担っているだけであり、盲目的に信じ敬うような存在ではないでしょう。

「あの仕組みどう思う?」
「あの政策どう思う?」
「あの主張どう思う?」など。
気の置けない間柄同士では、もっと気軽に、話題の1つとして、政治に関する評価や批判をしてもよいと思うのです。

意見は一致しなくていい。色々な見方や立場がある。We agree to disagree.

次の参院選は満18歳以上から選挙権がありますし、なんなら都知事選も行われることになったようですし…。参院選もありますし。

何やら我々のあずかり知らぬところで物事が進められているけれど、悪いようにはならないだろう。ではなく、
(声を上げないと、いないものと見なされそうなので)一主権者として、気になったことには口を挟み、首を突っ込みしていきたいなと思っています。