【読了】『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』
「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」
なかなかインパクトのあるタイトルですが、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ (Chimamanda Ngozi Adichie)というナイジェリア出身の女性小説家がTEDで行ったトークの邦訳本です。
この本、5月か6月に読み終えており、本からもらったパワーそのまま、その勢いのまま、感想を書き連ねようと思っていたのですが…ちょうどその頃、財務省の幹部やら自治体の首長やらのセクハラ問題が明るみに出てきていまして。
本を読んで「うん、そうだよね、そうだよね」「フェミニズムは決して女性だけのものではないよね」と力強いエールを受け取っていたところで、足元の自分が暮らす日本社会を振り返ってみれば、官僚や副総理という職にあろうとは思えない発言の数々、ワイドショー・バラエティなどで振りまかれるコメンテーターやタレントの見解、ネットでどうしても目に入ってきてしまう被害を訴えでた側への中傷の数々。
そんなものにすっかり、なんだか、意気消沈というか、無力さを痛感するというか、やり場のない怒りにかられるというか。。。やられてました。
「セクハラを受け流してこそ一人前」みたいな考えって、たしかに女性のなかにもあるのです。はびこっているのです。なぜなら、そうしていれば波風がたたないから。ましてや、管理職側の男女比率が大幅に偏っているなかで、そんな訴えを上にあげてみたところで、どこまでその訴えを取り上げてもらえるだろうかという疑心。
でもいい加減そんなのおかしいでしょう? と。そういう流れに世界が向かってきている中での、先進国とは信じがたい感覚を保持している日本の各界の上層部や一部の男性陣のありようには、呆れを通りこし、怒りがあるだけです。
そして、先月、今月もさらにまた色々と出てきました。(医学部入試に、購買層を逆なでする企業広告に)
その報道についてもふれたいと思うものの、腹が立ってしょうがないので、もう少しだけ時間を置きたいと思っています。
『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』を見習って、「改善したい、もっとよくしたい」と、そのモチベーションをまたかき集めたいところです。
フェミニストを名のるとネガティブに解釈されることが多々あると著者は言います。
著者のフェミニストの定義は、男性であれ女性であれ、「そう、ジェンダーについては今日だって問題あるよね。だから改善しなきゃね、もっとよくしなきゃ」と考える人。
ディオールのパリコレでタイトルがTシャツのロゴとして使われ、ビヨンセが歌に取り入れ、スウェーデン政府が子ども全員に配布するなど、大きな話題となったTEDスピーチの邦訳です。